唐突な当たり前の孤独

中野陽人のにっき

文学部が必要な理由

文学部は非生産的だし役に立たないという意見が炎上していた。

かわいそうに。きっと親が奇数人とか、年一の家族旅行もないとか (うちの場合は親戚一同団体様御一行の親戚旅行だったけど) アレな家で育ったのだろう。

きちんと勉強していた人なら、文学部で学ぶことも社会になくてはならないものだとわかるはずだ。

(必要不要かという同じ土俵で反論すること自体が負けな気もするけど、そこは突っ込まないでください。)

 

史学科では直接的に取り扱っているが、文学や思想も、それが書かれた時代の空気感ーーすなわち社会を知らなければ読み解くことはできない。

「こころ」も乃木将軍の殉死を知らなければ読み解けないだろう。

人文学的なお話は、社会構造を知らなければできないのだ。

例として誰でも知っている高校国語レベルの話を挙げたが、実際に学問として深く関わっていくためには、経済活動や産業、政治体制など様々な知識が必要になってくる。

楽単ばっか取って授業に座って感想文書いてるだけのやる気のないヴァカは知らないが、真面目にやっている文学部出身者が大学で身につけたことは、その後の仕事であったり、投資など、資本主義的価値観においても役に立つことである。

 

そして、人文学部に社会科学も必要だが、逆もまた然りである。

経済学理論においては人間は常に合理的な判断に基づいて自己の利益を最大化させるものと想定されているが、現実の人間はそんなうまく動くはずもなく、お金を出して二郎というラーメンを自称する残飯を食べて寿命を縮めたり、期待値が50%を下回っている宝くじを買うヴァカもいるし、しょうた11歳への検索流入を増やして平成文化を知ってもらう/振り返ってもらうという歪んだ動機で時事ネタを日記に書く自分のような気持ちの悪い人間もいる。

人の行動を規定する文化領域を知らなければ、こうした理論で想定されていない人間は分析不能だ。

社会科学も文学部で解き明かす人文学的な知見がなければ成立し得ない。

学問的な観点においても、文学部は社会に資している。

 

人文学を無視した社会科学も、社会科学を無視した人文学も、どちらも象牙の塔の机上の空論に過ぎない。

前者は銀行から送られてきたものの現場を知らずに財務諸表だけで判断して会社を傾かせる無能出向者、後者はサツキとメイは影がなくなったから死んだんだ!と根拠もなく自己流考察を繰り広げるオタクだ。

社会科学も人文学も、メインとしている部分が異なるだけで、相互依存関係にある。

マクロ視点かつ専門的なものが社会科学、ミクロ視点かつ横断的な観点から社会を解き明かすのが人文学だ。

 

欧米のエリートは古典教育を受けるというが、これも人文学的な知識を併せ持った視野の広く高度な判断のできる人間を育てるためだろう。

日本でも戦前のエリートは漢詩も嗜むなどそうだったというが、団塊以降就活戦争が大学の目的化して失われたので、日本は失われた30年を迎え失敗してしまったのかもしれない。

最近の日本が少し上を向き始めたのも、拝金主義で無教養な団塊の老害が引退して、文化への理解のあるバブル世代が組織のトップに立ち始めたからだろう。

反文化的な資本主義的勝ち組氷河期にポストが渡れば、日本は再び何十年か失われるだろう。

……と、最後は、団塊は悪の権化といういつもの平成社会論でした。